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樹木と花―コンデジ散歩

 
 花よりも樹木が好きである。花の写真も撮らないことはないが、本格的に撮るには適切な天候と時間帯、それに三脚が必要になる。本音を言えば、撮影技術も自分がイメージする写真にほど遠い。コンパクト・デジタルカメラひとつで散歩のついでに撮る対象としては、花はどうにもやっかいなのである。

 その点、樹木は気軽に撮れる。木は周囲の環境によってテーマやその魅力が変わってくる。一方、花は花だけで画になる。人物に例えれば花はポートレイトで、木はスナップ写真。樹木を撮るということは、状況(情景)を選ぶということではないだろうか。

 最近、パソコン内のアルバムに樹木の写真が意外に多いことに気付き、自分のテーマとして意識し始めた。「人間は花と木のどちらに近いか?」と問われれば、私は迷わず「木」と答えるだろう。花には感情移入ができないが、木に対してはそれができる、と言いかえてもよい。


「鏡の中のメタセコイア」

メタセコイアの並木

 並木道の若葉がまぶしい季節である。しかし、私の目はなぜか、建物の壁面に映った青空とメタセコイアの美しいシルエットにくぎ付けになった。ここは千葉市緑区あすみが丘のあけぼの通り。通りの名は、落葉針葉樹メタセコイアの和名、アケボノスギに由来する。冬が終わり、徐々に若葉が付き初めた頃のメタセコイアが、私はいちばん好きである。それにしても、並木の実風景よりも、鏡の中の虚像のほうに惹かれるのはなぜだろう? (建物はあすみが丘プラザ)


「昭和の森とあすみが丘住宅街」

昭和の森とあすみが丘住宅

 昭和の森の中で最も広いエリア「太陽の広場」は、天気のよい土日祝日にはたくさんの家族連れでにぎわい、色とりどりのミニテントが並ぶ。この広場の周囲を中心に、アスリートや健康志向のランナー、部活の生徒たちなどが周回する。こちらのほうは平日の朝夕が多い。この公園の北側に隣接するのがあすみが丘住宅である(写真奥)。洒落た屋根や窓、統一されたデザインポリシーの街並みを公園の中から見ると、そこに住みたくなるかもしれない。しかし、この写真の主役は一本の樹だ。住宅も、ツツジも、青空も、引き立て役にすぎない。


「冬の主役」―昭和の森の落葉樹

昭和の森・冬木立

 葉が散って裸になった木立が一本、広場の中央に寂しく立っている。そう感じる人も少なくないだろう。確かに、新芽から少しずつ黄緑色の葉が広っていく季節の木立はすがすがしく、根拠もなく明日への希望が湧いてくるものだ。落葉樹は冬の乾燥期に、水分を蒸発させる葉を落とすことで、枯れることを防いでいるのだが、そのおかげで私たちは隠されていた美しい枝の造形を味わうことができる。花もない、葉もないこの季節に、枝たちは青空に向かって力強く生を誇示しているのだ。
「知られざる野外彫刻」

切り株とシダ

 公園内の樹木を安全に、しかも他の大事な植物を傷つけずに切り倒すのは、熟練した職人の技に違いない。複雑に切り込みの入った切り株がそれを物語っている。絵に描いたような美しい年輪ではないが、四辺形に近い切り口の形状と、複雑に段差のついた年輪は、一枚の抽象画として見ると実に味わいがある。しかも、脇にはみずみずしいシダが彩りを添えている。もちろん、当の職人たちには、このような「野外彫刻」を作る意図は全くなかったのだろうが…。


「正源寺境内の大イチョウ」―久留里(君津市)

正源寺境内の大イチョウ(久留里)

 まるで枯れ木の上に何本もの木が生えているようだが、どっこいこの巨木はまだ生きている。中心にあるべき幹がどうなったのかは知らないが、枝が上に伸びてそれぞれが幹だと主張している。まあ、人間界にはよくあることだが、このイチョウは共栄共存で700年も生きてきたところがエラい。なお、このお寺のある久留里線(千葉県)の久留里では、復元された久留里城や名水が見どころで、足を延ばせば亀山湖(終点亀山駅)の紅葉が美しい。ローカルな味わいの好きな旅人にはたまらないエリアである。


「木立の中のこいのぼり」―昭和の森

昭和の森のこいのぼり

 わざわざそれだけを見に行くほどのこいのぼりではない。というと昭和の森にケチをつけるようだが、この公園の魅力にランキングをつけたら、こいのぼりが十本の指に入ることはないだろう。少しひねくれたほめ方になったが、昭和の森では、広大な敷地内の広場や遊具コーナーで子供が自由に遊べ、ランニング、ウォーキング、サイクリング、お花見、四季の散策、スポーツなどが楽しめる。遠方から車で訪れる価値は十分にあるだろう。写真のこいのぼりは平日の朝、誰も近くにいない時を狙った。こいのぼりは例年、3か所に張られる。


「桜と時計台」

昭和の森、桜と時計台

 昭和の森のお花見広場に行く途中、突然暗雲が立ち込めてきた。大粒の雨をしのぐには数カ所しかないあずま屋かトイレに駆け込むしかない。あわてて引き返しかけたとき、桜の花の異様な表情に気が付いた。3回シャッターを切ったうちの一枚、画面に時計台を入れた写真が最も不吉な感じがして、「お気に入り」となる。梶井基次郎の小説「桜の木の下で」を連想したからだ。桜の花にカメラを向けると、無意識に絵ハガキ的な視点で絵を作ろうとしてしまう。そんな安易さを、暗雲が気づかせてくれたのだった。


「小さな丘の小径」

丘の小道

 とある住宅街の外れで見かけた小径である。小さな丘の斜面には木を切り倒した跡がある。切り株というには背が高すぎ、モニュメントというには芸術の香りが皆無である。まるで背景が青空に切り取られてしまったかのような風景に、妙な違和感を覚えてシャッターを切った。この小径を登りきったところに何があるのか、あるいは何が見下ろせるのか。少し気になったが、林立する切り株らしきものがそれを拒絶しているように思えた。疲れたので、さっさと帰ることにする。あまりに殺風景で、かえって捨てがたい写真となった。


「白一点」―青葉の森公園(千葉市)

チューリップ(青葉の森公園)

 紅一点という言葉は高校に入って初めて知った。男子校だった高校が戦後、少しずつ共学化されていく中で、初めのうちは女子生徒が一人しかいないクラスができたらしい。その後、共学化は急速に進んだが、女子高が共学化されても、最初は男子の受験者がほとんどいない学校もあったという。男は少人数で女性軍の中に入っていく勇気がないのだ。さて、写真の白いチューリップ君、赤い花に囲まれて「白一点」となり、その存在を誇示している。とはいえ、花弁が少し小さいのがちょっと‥‥。

  公園のオアシス―池と水鳥、鯉、亀…

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